11月8日(火) 福島直恭教授 「近代日本の標準語政策と東北地方」

 

福島直恭先生は、「「日本語」の普及政策の影響 ー東北と沖縄を中心としてー」と題した授業を始めるに当たって、東北が東京にとってどういう位置づけかを、講義を通して考えてほしい、と、話された。


福島先生は、まず、前回の授業内容(明治以降の日本政府が、国家語としての「日本語」(現代標準日本語)の方が価値の高い言語変種であるという気持ちを植え付け、地域方言の撲滅をしながら、「標準日本語」を国民に習得させた)を振り返られた。そして、その標準語政策が東北と沖縄の人々に、どのような影響を与えたかを、授業では考えてゆくということを説明された。


標準語普及政策、つまり、中央の象徴である「標準日本語」の普及は、単に言語を「標準日本語」に取り替えるだけではなく、方言を撲滅しながら、ものの見方、考え方、価値観などを中央の方式に取り替える(=中央集権国家としての価値観の統一)意図を持っていた。


「標準日本語」の普及については、今日、目標はほぼ達成された。しかし、普及を通して図られた「方言の撲滅」は、各地の方言が標準語化されてはいるが、実現されていないのが現状である。


次に、福島先生は、この標準語普及政策、つまり、方言撲滅政策の問題点を説明された。以下、福島先生の配布資料より:


「地域方言を否定して、新たに標準語をそのかわりのものとして習得させようとすることは、地域独自の文化を否定して、中央の文化、価値観などを押しつけることである」


つまり、「標準日本語」を普及させるためには、「標準日本語」の威信を高めることが不可欠であり、それが意味することは、それまで使用していた地域方言の威信を低めるということである。そして、この言語の威信の評価は、中央の文化の価値と、地域の価値の格差をも、生じさせた、ということである。


そして、中央との格差のみならず、方言間にも格差が生じていき(標準語に近いか否かによる)、標準語といかにかけ離れているか、ということから、沖縄と東北は、低く位置づけられた。


例えば、「方言札」なるものが存在していた。これは方言を使った人が、首からぶらさげた札である。そこには、「普通語を話しましょう」「方言ばか」「私は方言を使いました」というような記載があった。方言を使うことは恥ずかしい、と、思わせることによって、徹底的に方言を撲滅しようという取り組みである。このように、方言撲滅を通して、地域自体の価値観を下げてしまうことが重圧的に、非人道的に行われていた。


このような方言撲滅政策が推進される中、沖縄と東北の以下の相違3点を、福島先生は、挙げられた:

 

(1) 現在の自分の方言に対する評価

沖縄では、自分たちの言語に人々が誇りを持っている。例えば、沖縄では、「しまくとぅばの日」が制定されるなど、琉球方言をなくさないための方策がとられているが、東北では、そのような取り組みがない。

(2) 他地域(特に首都圏)の人々の現在の評価

外部者による、東北方言、そのイメージへの評価は他方言と比較し、断然低い。

(3) 方言撲滅政策に対する他の方言話者からの否定的反応

沖縄では、1940年に「方言論争」なるものが起こり(柳宗悦)、政府の標準語普及政策が行き過ぎであり、県民に屈辱感を与えるものであるということが強く、訴えられた。

 

このような違いの要因について、福島先生は、東北が地理的に東京から近いがゆえに、直接的に差別を体感したことを挙げられた。東北と東京の往来がしやすく、標準語、東京を価値の高いもの、つまり、自分たちの方言や価値観が低いと思いこみやすく、屈辱的な差別にも頻繁に直面した。

 

最後に、先生は、近いがゆえに差別、不利益を受けた東北ではあるが、近いがゆえの利点も示唆された。近いからこそ、東北の復興においては、東京からできることが、たくさんある、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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