10月4日(火) 根占献一教授 「東西における自然災害の史的意義」

 

 この9月初めにイタリア(フィレンツェ)で旧友たちと2年ぶりに会った。3.11がなければ、再会時に違った会話となったことであろう。日本語の分かる友人はイタリア語の津浪に相当する言葉、maremotoが今回の大災害を伝える事は到底できないと指摘した。私もこの原義を考えるとそう思うし、むしろtsunamiがそのまま使われる報道を何度も耳にすることができた。

 ところで、この震災のあと、友人が編集した寺田寅彦の随筆集を献呈され、この稀代の随筆家の説得力ある科学的思考に深く学ぶことができた。彼の言うところでは、文明が進めば進むほど、被害が大きいという。私たちは、世の中は進歩し、あらゆる天変地異を乗り越えて行けると思っている近代社会に生を享けている。ところが、今回の東日本大震災により、科学文明が進めば、それだけ自然が反発するのではないかという気がしてきた。どのように高い防波堤をも乗り越え、まさに人知を超えるのである。

 先の寅彦の随筆には主題上、関東大震災に関わるものが含まれる。当時の知識人や文化人を含めて、多くの関係者が影響を被った。ヨーロッパの場合、思い起こされるのは1755年のリスボン大地震である。1749年生まれで子供だったゲーテもこれに触れているくらい、アメリカ独立革命、フランス革命など大事件が多かった18世紀の中でも、意義深い出来事と位置付けられている。今回のリレー講義ではヴォルテールの『カンディード』を取り上げ、ライプニッツの弁神論とともに、時代がこれをどう受け止めたか、私たちの受け止め方とどう違うのか、東日本大震災や原発事故を日本人に対する天罰と言った人もいたようだが、このような発言は歴史的にどう解釈できるのか、考えてみた。

 最後に、私たちの歴史的経験が教えているように我々はこれを乗り越えられるし、また邦人の顧客を長年有するイタリアの書店主も、知りあいの日本人の性格と知性から見て、日本はこの危機を克服できると信じていると何度も励まされた。『カンディード』のように天真爛漫ではいられないが、多数の方々の努力と善意を信じたい。


 


概要 | サイトマップ
Copyright (c) 2011 Tsunagaru WA Campaign ALL Rights Reserved.