10月19日(水) 徳田和夫教授「災害と復興をめぐる民俗文化」

徳田和夫先生は、授業のはじめに、「私たち人間は自然の脅威とどのように向かい合ってきたのか」、これを考える上で、東日本大震災は甚大な被害とともに、新たな視点をもたらした。それは文化の有りようについて見直しを迫るほどの大きなインパクトであったと話された。東日本に対する寄付やボランティア活動などの支援活動が広がっている今こそ、改めて文化とは何かと考え直して、学術を通した復興への道筋を提言することの重要性を説かれた。

 

続いて、先生は、民俗学の観点から「海」の意味を説明された。私たちは、四方の海からの贈り物で豊かな生活を確保してきた。同時に、海を通じて外の文化とも接してきた。そして、海辺の人々は、海の彼方に理想郷を観想し、死後その魂が訪れる場所として、海を崇敬して生きてきた。例えば、沖縄では、「ニライカナイ」という言葉がある。これは、海の彼方の理想郷、祖霊がまします世界を指すものである。日本人は古くから現在まで、海に対して格別な意識をもって生きてきたのである。

 

その海は、2011311日にまさに目にしたように途方もない大きな力を発揮し、それは甚大な被害をもたらすことになったが、その脅威はいつの時代にもあったことで、それを体験として伝えるようになった。そうした積み重ねが歴史化していくと、やがて物語ともなっていき、現代にまで語り継がれていると、先生は話された。

 

その一例として、13世紀初めの頃の『宇治拾遺物語』の「(からの)卒塔婆(そとば)血付(ちつ)(こと)」を先生は紹介された。

 

(説話の概要)

山の頂に誰が建てたかわからない卒塔婆(碑/塚)がある。「卒塔婆に何か変わったことがあるとよくないことが起きる」という言い伝えがある。老婆はそれを信じて物心ついた頃から1日も欠かさず、その卒塔婆を見に山に登っていた。ところが、若者たちがそれをあざけ笑って、いたずらをしようと卒塔婆に血を塗った。山に登った老婆は卒塔婆の異変に気づいて、驚いた。村に戻って、村人に早く逃げるように叫んだが、いたずらだと知っていた村人は逃げなかった。老婆は家族と家財をまとめ非難した。数日後、山は崩れ、深い海にのまれ、村が全滅した。

 

徳田先生は、この老婆は霊力をもち、神仏を(まつ)る者の象徴でもあり、神がこの世に現れるさまをもの語る巫女であり、神の声を人々に伝える存在であること。そして、言い伝えを守り、いつも海の動きを警戒している人であり、対して、若者は自然の脅威を忘れていた者と読み解くことができると解説をされた。そして、私たちの先祖は、どうしても避けることのできない自然の力を神の怒りと理解してきたと話された。

 

この話は中国を舞台とした話であるが、おなじような物語は日本の民間説話にもあり、伝説として語られていること。そして、こういった昔話は人々の歴史を語り、知恵のかたまりであるということを、先生は熱く語られた。

 

次に、先生は、沖縄など南西諸島の昔話を紹介された。『日本昔話通観26(沖縄)』の「96 人魚と津波―報恩型」は、浜辺で遊んでいた若者が、人魚をつかまえたが、逃がしてやる。すると、人魚はお礼に大津波を予告したので、若者は被害から逃れられた、という話である。これは、実は明和8年(1771年)の大津波とも結びつけられて語られてきた話であり、まさに事実として語られ、享受されてきた物語である。昔話はエンターテイメントの性格をもつ物語だが、ここでは「歴史」として伝えられている。つまり、昔話には歴史が込められており、その伝承の力の意義について考えることが大切だと説明された。そして、物語で、若者たちは、人魚の「大津波がくる」という言葉を信じ、逃げて助かったのだが、大切なのは、「信じる心」あるいは「理解できる心」を持てるかどうか、ということでもあると話された。

 

幸せ、豊かさ、文化をもたらす海であるが、とてつもない巨大な力を秘めていて、突然、爆発的にそれを発揮する。その備えをしておかなければならない。古典の説話や民間伝承に「過去からの知恵」を探ることができると先生は説かれ、過去を知る手だてとして、歴史の記録である物語を関心を向けてほしいと強調された。そして、日頃、見失っているものを見直す、思い出させるものとして、古くからの日本の文化の素晴らしさも指摘された。

 

授業の後半では、徳田先生は、被災したコミュニティがこれからどのように復興してゆくべきかについて、お考えを述べられた。何よりも大切なのは、コミュニティには結束のための「核/中心」が必要であり、それは【祭り】であると述べられた。被災直後は、生活の安定が第一の優先事項であるが、落ち着いてくると、「精神的な安定」がとても重要となってくる。それは、どのような契機で成し得るのか。徳田先生は、まずは「いつもどおり」の生活のサイクルの確保だと述べられ、それをもたらす1つの大きな力が祭りであると話された。

 

祭りという言葉は、もともと、「神の来訪を待つ」ということに始まっている、つまり、神仏をお迎えして歓待するということであり、また祖先の霊を考える機会ともなっている。そして、この祭りは、年に1回、つまり、毎年、決まった時節に繰り返すことに意義があると先生は指摘された。日本の民俗文化は「更新型」であり、年に1回必ず行うことで、精神的に力をつけていく、強くなっていく。そういった見地から、祭りは不可欠であり、なくなってしまうと力を合わせることもなく、「いつもどおり」の生活を取り戻すことはできないと、話された。

 

徳田先生は、岩手県宮古市のある地域で、家族や生活すべてを失ったにもかかわらず、地域の人々は、いつも拝んできたお地蔵さんが流されたのを案じて、ようやく数日後に探し出して、元の位置に安置したという出来事を新聞記事等から紹介された。どんなに生活が苦しくとも、精神的に頼りとなるものを求めていて、ここでは、お地蔵さんがいつもいらっしゃる日常の光景が心に安定をもたらしていると、しみじみと話された。

 

最後に、民俗学のおもしろさは、生活に密着した精神の文化を探り出すことであり、例えば民間に伝わる物語は人間の歴史と重なっていて、絵空事の世界ではないことを知ることにある。また、人々は祭礼や民俗芸能によって癒されてきたのであり、それを現地で身を持って体験できることだと、語られた。そして、私たちは、これからは、東日本の方々の生活支援だけではなく、文化面の復興の手助けをしていくべきだと述べられて、授業を終えられた。

 

 


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